展覧会構成

第一章 ()(むろ)仁和寺の歴史

仁和寺は、光孝天皇(830-887)の発願により造営がはじまり、仁和4年(888)、宇多天皇(867-931)により創建されました。宇多天皇は譲位後に出家し、延喜4年(904)、仁和寺に御室(僧坊)を造営、隠棲します。その後、仁和寺は、宇多法皇の法流を受け継ぐべく歴代門主は親王・法親王が相承し、()(がん)()(皇室の私寺)として歴代天皇より崇敬されてきました。「御室」と称されてきた仁和寺の歴史を如実に物語るのが、国宝「高倉天皇宸翰消息」をはじめとする仁和寺に伝わる天皇直筆の書(宸翰(しんかん))の数々です。その宸翰を中心に、歴代の肖像画や工芸品、古文書等により仁和寺の歴史をご覧いただきます。

第二章 修法の世界

密教の教えでは、修行者が仏と一体の境地に達する時、仏の知恵を悟り、その力(()()(りき))によって人々を救うと説かれています。その具体的なかたちとして、仏の力をもって現実世界に様々な影響を与える「修法」という儀式があります。天変地異をはじめとした災いを除き、幸福をもたらすため、我が国では特に修法の力が密教に期待され、平安時代には国家的な行事として行われました。仁和寺は(こう)(ぼう)(だい)()(くう)(かい)を宗祖と仰ぎ、また創建以来皇室とのゆかりが深いことから、修法に関わる多くの名宝が伝えられています。本章では天皇の病気平癒や皇子の誕生を願う孔雀経法の本尊である「()(じゃく)(みょう)(おう)(ぞう)」や、(ぶっ)(しゃ)()を納める容器である「(こん)(どう)()(えん)(ほう)(じゅ)(がた)(しゃ)()(とう)」など、修法の場で用いられた仏画や法具を展観します。

第三章 御室の宝蔵(ほうぞう)

承平元年(931)、仁和寺の御室にて宇多法皇が崩御するに際して、膨大な数の御物が仁和寺の管理下に移されます。これにより仁和寺の宝蔵が成立しました。以後、仁和寺の宝蔵は、御願寺(皇室の私寺)の宝蔵として厳重に管理され、火災や戦火に遭いながらも宝物は護られてきました。その中には国宝「()(しん)(ぽう)」など、中国・日本の医学史上において重要な史料も含まれています。また、仁和寺を総本山とする真言宗御室派の関係寺院にも、さまざまな寺宝が伝来しています。これまでまとまって紹介される機会がなかった仁和寺と御室派関係寺院に伝わる絵画・書跡・工芸の名品をご堪能いただきます。

第四章 仁和寺の江戸再興と観音堂

創建以降、広大な寺域を誇った仁和寺の伽藍も、京都を戦場とした応仁の乱のさなかの応仁2年(1468)、ことごとく焼失してしまいます。その後、仁和寺の南に位置する(ならび)()(おか)真光院(しんこういん)で法脈は受け継がれますが、現在のような伽藍に再興されたのは江戸時代初期、覚深法親王(かくじんほっしんのう)(1588-1648)の頃でした。寛永11年(1634)、覚深法親王は将軍徳川家光(とくがわいえみつ)に働きかけ、仁和寺再興の援助を受けることに成功します。さらに、天皇の御所であった()(しん)殿(でん)(せい)(りょう)殿(でん)(つね)()殿(てん)も移築され、堂舎に改築されました。皇室ゆかりの仁和寺ならではの特別の配慮と言えるでしょう。本章では江戸時代初期に再建された諸堂のうち、普段は非公開の観音堂の様相を33体の安置仏と壁画の高精細画像で再現するとともに、仁和寺の江戸再興にかかわる諸作を展観します。

第五章 御室派のみほとけ

仁和寺は、今から1100年あまり前の平安時代に開創されましたが、それ以後の長い歴史のなかで、仁和寺と御室派諸寺院とはさまざまな縁が取り結ばれてきました。現在、御室派寺院は約790箇寺を数えますが、その縁には今となっては忘れられてしまったような両者の歴史がしっかりと刻みこまれています。本展覧会では、普段は公開されていない秘仏を含めて、全国各地の御室派寺院から貴重な仏像が数多く集まります。御室派の広がりによって実現した名品の饗宴をご堪能ください。

主要作品紹介

秘仏本尊国宝 薬師如来坐像

国宝 (やく)()(にょ)(らい)()(ぞう)

円勢・長円作 平安時代・康和5年(1103) 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

像高12センチメートル。白檀を精緻に彫刻し、金箔で細やかな文様を施す。

国宝 孔雀明王像

国宝 ()(じゃく)(みょう)(おう)(ぞう)

中国・北宋時代・11~12世紀 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

密教修法の孔雀経法を修する際の本尊画像。現存作例の乏しい、中国・北宋時代に制作された、きわめて重要な仏画。

国宝 三十帖冊子

国宝 (さん)(じゅう)(じょう)(さっ)()

空海ほか筆 平安時代・9世紀 三十帖 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

弘法大師・空海(774-835)が中国で書写して持ち帰り、真言密教の秘書として伝わる。空海と同じく「三筆」と称される(たちばなの)(はや)(なり)の書も含まれると考えられ、書道史上も重要な作品。

国宝 宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱

国宝 (ほう)(そう)()()(りょう)(びん)()(まき)()(さっ)()(ばこ)

平安時代・10世紀 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

国宝「三十帖冊子」を納める箱。研出蒔絵で流麗な文様が施される平安時代蒔絵の代表作として特に名高い。

国宝 高倉天皇宸翰消息

国宝 (たか)(くら)(てん)(のう)(しん)(かん)(しょう)(そく)

高倉天皇筆 平安時代・治承2年(1178) 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

高倉天皇(1161-81)が、仁和寺第六世門跡の(しゅう)(かく)法親王(1150-1202)に宛てた手紙。

重要文化財 金銅火焔宝珠形舎利塔

重要文化財 (こん)(どう)()(えん)(ほう)(じゅ)(がた)(しゃ)()(とう)

鎌倉時代・13世紀 京都・仁和寺蔵

仏舎利を納める容器で、銅板を鍛造(たんぞう)して形作られた宝珠が蓮華台座上に安置される。宝珠には「(かざり)()(ちょう)()()」の銘文があり、錺師の名を刻んだ最古例としても貴重。

宇多法皇像

()()(ほう)(おう)(ぞう)

室町時代・15世紀 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

光孝天皇(830-887)の遺志を引き継ぎ、仁和寺を創建した宇多天皇(867-931)の出家後の姿を描く。

重要文化財 僧形八幡神影向図

重要文化財 (そう)(ぎょう)(はち)(まん)(しん)(よう)(ごう)()

鎌倉時代・13世紀 京都・仁和寺蔵
※展示替あり

ひざまずく二人の男臣の前に、僧侶の姿をした八幡の神が姿を現わした様子を描く画像。現在、仁和寺境内北東に位置する()(しょ)(みょう)(じん)にも、八幡神は第一座として祀られている。

秘仏本尊国宝 十一面観音菩薩立像

国宝 (じゅう)(いち)(めん)(かん)(のん)()(さつ)(りゅう)(ぞう)

平安時代・8~9世紀 大阪・道明寺(どうみょうじ)

頭上の仏面から台座の蓮肉まで一材から彫り出し、美しい衣を刻む平安初期一木彫像の傑作。

秘仏本尊重要文化財 馬頭観音菩薩坐像

重要文化財 ()(とう)(かん)(のん)()(さつ)()(ぞう)

鎌倉時代・13世紀 福井・中山寺蔵

鎌倉時代の名品として名高く、鮮やかな彩色や光背、台座も当初のものを残す若狭の秘仏。

秘仏本尊

重要文化財 (にょ)()(りん)(かん)(のん)()(さつ)()(ぞう)

平安時代・10世紀 兵庫・神呪寺(かんのうじ)

如意輪観音像の古い例として重要な像。毎年5月18日にのみ開扉される秘仏。

秘仏本尊重要文化財 千手観音菩薩坐像

重要文化財 (せん)(じゅ)(かん)(のん)()(さつ)()(ぞう) 経尋作

平安時代・12世紀 徳島・雲辺寺(うんぺんじ)

四国遍路の難所の1つ、標高900メートルあまりの山地にある雲辺寺の本尊。眼病治療のためにつくられた仏。

重要文化財 降三世明王立像

重要文化財 (ごう)(ざん)()(みょう)(おう)(りゅう)(ぞう)

平安時代・11世紀 福井・明通寺(みょうつうじ)蔵 撮影 武藤茂樹

像高250センチメートルに及ぶ国内でも比類のない迫力のある姿。同じ大きさの(じん)(じゃ)(たい)(しょう)(りゅう)(ぞう)も紹介。

重要文化財 五智如来坐像

重要文化財 ()()(にょ)(らい)()(ぞう)

平安時代・12世紀 大阪・金剛寺(こんごうじ)蔵 写真提供:文化庁

大阪府河内長野市の古刹、天野山金剛寺の五仏堂に安置される。大日如来を中尊として、四方に()(しゅく)宝生(ほうしょう)・阿弥陀・不空成就の四如来が配され、平安時代の数少ない五智如來像の1つである。

彦火々出見尊絵

(ひこ)火々(ほほ)()(みの)(みこと)() 狩野種泰筆 巻6 部分

江戸時代・17世紀 福井・明通寺 撮影 武藤茂樹
※展示替あり

海幸彦(うみさちひこ)山幸彦(やまさちひこ)の古代神話に取材した絵巻。原本は平安時代末、()(しら)(かわ)(いん)の周辺で制作され、後に若狭(福井県)の古刹・明通寺に伝えられたと考えられている。物語の舞台である龍宮の様子などが活き活きと描かれている。